jewel仙台、泉、南仙台オーナーのチャットレディー募集ブログ

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ライブチャットの歴史というかなんというか

みなさんこんにちわ!

ライブチャットグループjewel東北オーナーの石垣です☆

今日はあいにくの雨ですね。。

しかもめっちゃ寒いし。

こんな日はこたつに入りながら、みかんでも食べて

クロームキャストでも使って、スマフォ動画をテレビで見たいもんですな。

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はい、買いました。クロームキャスト。

 

もともとは嫁さんのディズニーモバイルに入っている

ディズニーチャンネルを子供たちに大きな画面で見せようと

思って、そういった接続端子を探しに電気屋に行ったら

店員さんにおすすめされた商品が↑

値段も安くで設定も簡単。

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んで、神機能。

重宝します。

 

ということで、前置きはこのぐらいで終了。

 

今日はライブチャットの動きとかその辺を書いていこうかな〜

なんて思いパソコンを開いたのでございます。

 

長くなるので。3部制にしてお送りしますね☆

 

第一部

 

そもそも、当ライブチャットjewelグループの起源となったのは

まさに今ここ、仙台なのです。

仙台の仙台駅前店に第一号店を会長が設立し

その後、ほどなくして私が入社。

パソコンも触ったことのない私を雇ってくれました。

その期待に応えるべく、無遅刻、無欠席!

とまではいかないものの、かなり努力しました。

12時出社だったので、11時30には会社に来て

掃除やらなんやら。その後通常業務をこなし

パソコン練習は退勤時間の22時を過ぎてからせっせと数時間。

こんな生活をしばらく続け、スキルもついてきたあたりに

店長に昇格。

この頃は女の子と向き合うのに必死でした。

 

・・・

 

これじゃあ私の昔話になっちゃうので、この話は暇な時にでも続きを書きますね。

話を戻して、仙台で立ち上げたのが約7年前ですね

その頃のライブチャットってどうだったのか。

関東、関西の方ではそれなりにメジャーになりつつある職業でしたが

そもそものライブチャットという仕事の認識が仙台ではほぼ皆無でした。

面接に来てくれる子も「??」状態。

そして、説明しても

 

「そうゆう仕事だったんですね・・・」

 

となり、一日体験をする事もあまりありませんでした。

それでも面接の問い合わせは後を絶たず

一日5件の面接、一日体験3件などが当たり前。

朝早く〜夜中までぶっ通しなんて当たり前。

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体調崩しても、家の用事があっても

当時の仙台エリアは私一人でしたので

必死こいて取り組みました。

休日でも求人の連絡は常にとっているので

半年くらいは休みという休みがほぼない状態くらい

この仕事は需要あるのかな?という考えから

これは、絶対流行るなという確信に変わったのもこの頃です。

その頃、ライブチャットのサイトの方はどうだったでしょうか。

はっきり言います。

 

「少し顔が良い、胸がでかい、そんな強みが一つでもあれば、誰でも稼げていた時代でした」

 

写りは当時最高の画質を誇っていたものでも

30万画素。

当然、メイクにこだわっている子も少なく

衣装もコスプレが主流。

照明もしっかりこだわってるプロダクションも少なかったです。

もちろん、今でもずっと大手ライブチャットサイトで上位にいるあの子だけは

 

「別格」

 

でしたけど。^^;

とにかく、女の子が少ないし、入れ食い状態。

ノンアダルトでもしっかり稼げていた時代でしたね〜

しかし、女の子のやめる→入店するというサイクルが非常に早く

お気に入りの子もすぐいなくなっちゃうって事もよくありました。

 

そんな状態が半年程続きます。

そして、ここで動きが。

今でも愛用しているプロダクションさんは多いのではないでしょうか。

ロジクール社のwebカメラ、今のPRO9000の元祖となる

200画素のカメラが登場したんです。

これにて、業界は一気に変わっていきました。

 

そう。

 

ほとんどのプロダクションも映りに力を入れ始めたのです。

 

第一部 完


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